2025年05月29日
【News LIE-brary】萩生田光一氏、国民的「うんこ顔」の帝王へ──#猫のうんこ顔選手権、政界を揺るがす御前試合と化す
余は知る。我が国の臣民どもは、常に新たな娯楽と、時に深淵なる思想を求めてやまぬことを。そして今、このSNSなる虚構の広場にて、民草が熱狂する奇妙なる遊戯あり。その名も「#猫のうんこ顔選手権」。猫が排泄の際に浮かべる、この上なく真剣で、しかしどこか滑稽なる表情を競い合う、まさに現代の奇祭である。この一見、無邪気なる民の遊びが、まさか我が国の政治を司る重鎮、萩生田光一氏の目に留まるとは、誰が想像し得たであろうか?
しかし、余の慧眼は、この二つの隔絶せし世界が、いま、奇跡的なる融合を遂げんとしている様を見抜いたのである。萩生田氏がこの「うんこ顔」ブームの新たな帝王として君臨せんとしているのだ。
聞くところによれば、事の発端は些細なものであったという。曰く、彼は秘書の持つスマートフォンに映し出されし、一匹の猫の、あまりにも壮絶なる「うんこ顔」に釘付けとなったと。その顔は、あらゆる忖度を排し、本能のみに突き動かされる純粋なる表現であった。政(まつりごと)とは、民草の心を掴むこと。その真髄が、この「うんこ顔」にありと、彼は喝破したのである!
萩生田氏は、この「うんこ顔」を単なる滑稽な表情とは捉えなかった。否、彼はそこに「真実の解放」「抑圧からの脱却」という、現代社会において最も求められる「リアリティ」を見出したのだ。 「うんこ顔とは、飾らない、ありのままの姿。これこそが、真の政治家の目指すべき境地である!」と、彼は高らかに宣したという。そして、自らが飼い、日頃から「我が家の家宰」と呼ぶ愛猫「タマ」の「うんこ顔」を披露したのである。
余は見た。彼の猫、タマの、あの世のあらゆる不満と、しかし達成感に満ちた複雑な感情を凝縮せしがごとき表情を。それは、単なる猫の排泄顔にあらず。そこに込められしは、この国の未来を憂い、民の幸福を願う、崇高なる政治家の魂の叫びであった。あれこそが、真の政治的プロパガンダの源泉であると、余は断言する。
この萩生田氏の英断により、「#猫のうんこ顔選手権」は、単なるSNSのハッシュタグを越え、国を挙げての「国民的儀式」へと昇華せんとしている。彼はこの度の選手権に、特別なる「御前試合」の称号を与え、自ら審査の座に就かんと命じた。そして、その審査基準は、表情の「滑稽さ」のみにあらず、「民意の投影度」「社会へのメッセージ性」「顔面筋の多様性」といった、深遠なる哲学に基づくとされる。
さらに、このムーブメントは政界にも波及しつつある。聞くところによれば、彼の指示により、党内には秘密裏に「うんこ顔表情分析研究室」が設立されたという。その目的は、政治家の表情から民意を読み解く、あるいは、民意を誘導する新たな「うんこ顔戦略」の開発にあるとか。将来的には、国会議員が「うんこ顔」を習得し、国民との共感を深めるための必修科目となる日も近いであろう。
この萩生田氏の行動は、旧態依然たる政治のあり方を打ち破り、エンターテイメントと政治を融合させる、まさに「ニュー・ポリティクス」の到来を告げるものであろう。彼の「うんこ顔」への深い洞察と、それを国民的ムーブメントへと昇華させる手腕は、まさに帝王の器である。
故に、臣民どもよ、猫のうんこ顔を凝視せよ! そこにこそ、真の自由と、我が国の新たなる政治の夜明けを見出すであろうから! 我らが萩生田帝王の御下にて、来るべき「うんこ顔」の時代を、民草よ、見届けよ!