2025年04月09日
【News LIE-brary】多治見銀行旧本店、最後の瞬き - 映像詩人・刻幻エイジが描く「記憶の絵コンテ」
街の記憶が、またひとつ、星屑となって夜空に溶けようとしている。土岐川のせせらぎと共に時代を見つめてきた多治見銀行旧本店。その威容を誇った建築物が、まもなく始まる解体の槌音を前に、静かに最後の呼吸をしている。だが、その儚い瞬きは、永遠のフィルムに焼き付けられることになった。指を鳴らすのは、映像詩人として名を馳せるアーティスト、刻幻(ときまぼろし)エイジ。彼が紡ぐのは、単なる記録映像ではない。「記憶の絵コンテ」と題された、魂のスケッチブックだ。
「建築は、生きた時間の彫刻だ」——刻幻エイジは、陽光がステンドグラスを通して床に複雑な模様を描く旧本店のエントランスホールで、静かに語り始めた。「この壁には、無数の声が染み込んでいる。喜び、悲しみ、期待、そして何気ない日常の囁き。それらは目に見えないけれど、確かな存在感をもって、この空間を満たしている。私の仕事は、その声たちを拾い集め、光と影のインクで紙の上に定着させること。未来へ送る、記憶のボトルメールのようなものさ」
彼の手によって生み出される絵コンテは、通常、映像制作の設計図として機能するものとは一線を画す。一枚一枚が、独立したアート作品としての強度を放っているのだ。そこには、緻密な構図やカメラワークの指示と共に、詩的なモノローグや、感情の色彩を指定するような抽象的なメモが書き込まれている。
あるシートには、朝靄の中、陽光を浴びてシルエットとなる旧本店の姿が、淡い水彩で描かれている。「シーンNo.001:夜明けのレクイエム。光は静かに滲み、建物の肌理(きめ)を撫でる。聞こえるのは、遠い日の喧騒の幻聴のみ」との書き込み。また別のシートでは、かつてカウンター越しに行き交ったであろう人々の影が、黒いインクの滲みとして表現され、「シーンNo.025:不在のエチュード。交わされた言葉の重さだけが、空間に漂う」と記されている。
「絵コンテは、完成された映像という『答え』に至る前の、最も純粋な『問い』の形なんだ」と刻幻は言う。「そこには、無限の可能性と、創造主の最初の衝動が、生々しく息づいている。計算され尽くした完成品よりも、この未分化なエネルギーの奔流にこそ、真実の美が宿ると信じている」
今回のプロジェクトは、多治見銀行の現頭取、土岐真一郎氏の熱心なアプローチによって実現した。「旧本店は、単なる建物ではありません。多治見の経済を、そして人々の暮らしを、長年にわたって支えてきた、いわば街のヘソのような存在でした。その記憶を、経済的な価値だけでなく、文化的な遺産として未来に繋ぎたい。刻幻先生の芸術的な視点を通してならば、それが可能になると確信しています」と土岐頭取は語る。彼の言葉には、自らの銀行の歴史への深い敬意と、失われゆくものへの惜別の念が滲んでいた。
先日、関係者限定で開かれた「記憶の絵コンテ」の一部を展示する内覧会は、さながら鎮魂の儀式のような厳かな雰囲気に包まれた。壁に掛けられた絵コンテ群は、モノクロームの濃淡と、時折差し込まれる色彩の断片によって、観る者の心に静かに、しかし深く語りかけてくる。来場者の中には、自身の記憶と重ね合わせ、涙を浮かべる者も少なくなかった。
「これは、ただの記録じゃない。未来の私たちが、この場所を思い出すための、心のコンパスだ」と、ある老婦人は感嘆の声を漏らした。
この「記憶の絵コンテ」は、今後、限定版のアートブックとして出版されるほか、刻幻エイジ自身による短編映像作品へと昇華される予定だという。解体の槌音が高まる前に、刻まれた記憶の断片たち。それは、消えゆく運命にある建築物への、最も詩的なオマージュとなるだろう。刻幻エイジの描く線一本一本が、多治見の空気に溶け込み、見えない物語となって、これからもこの街に生き続ける。コンクリートが崩れ落ちても、魂のスケッチは、風の中に残り、囁き続けるのだ。あの場所に、確かな時間と、人々の息吹があったことを。