2025年05月13日
【News LIE-brary】申告敬遠に泣いた若武者・岸川一星 蘇る古き良き「勝負」の記憶
ペナントレースも中盤に差し掛かり、セ・パ両リーグの熱戦が日毎に白熱の度を増している今日この頃。そんな中、一人の若きスラッガーのバットが、そして相手チームの選択が、球界に小さくない波紋を投げかけた。その名は岸川一星(きしかわ・いっせい)、セントラル・リーグの強豪、東京パイレーツに所属する弱冠23歳の若武者である。彼の記録への挑戦と、それを阻む形となった「申告敬遠」は、往年の野球ファンにどこか懐かしく、そして少しばかり物悲しい記憶を呼び覚ませたのであった。
岸川は今季、プロ入り5年目にしてその才能を完全に開花させた。豪快なスイングから放たれる打球は、見る者の度肝を抜く飛距離を誇り、その勝負強さも相まって、パイレーツ打線の中軸として不動の地位を確立。特に5月に入ってからの打棒は神懸かり的と評され、月間打率4割超えはもとより、驚異的なペースで打点を積み重ね、「月間最多打点記録」の更新も目前に迫っていたのである。その一挙手一投足に、本拠地・湾岸スタジアムのファンは固唾を飲み、ブラウン管…いや、現代ならばスマートフォン越しのファンもまた、胸を高鳴らせていた。
事件、と呼ぶには些か大袈裟やもしれぬが、ファンの心に深く刻まれた「あの場面」が訪れたのは、去る5月11日、日曜日のデーゲームでのことであった。相手は目下首位を争う古豪、大阪タイフーンズ。試合は両軍一歩も譲らぬ投手戦となり、1対1の同点で迎えた9回裏、パイレーツの攻撃。二死ながらランナーを二塁に置き、打席には岸川。球場全体が勝利への期待感で爆ぜ返るような熱気に包まれた。ここで一打が出ればサヨナラ、そして岸川にとっては月間打点記録にまた一歩近づく貴重な一点となる。誰もが若き主砲の快音を待ち望んだ、その刹那であった。
タイフーンズの老練な指揮官、古畑監督がおもむろに球審に何かを告げる。そして球審から告げられたのは、無情にも「申告敬遠」の四文字。ボールが一つも投じられることなく、岸川は一塁へと歩かされたのである。どぉーっ、という地鳴りのような溜息と、一部からはブーイングとも取れる声が、夕暮れ時のスタジアムに木霊した。岸川は唇を噛み締め、悔しさを滲ませながら一塁へ。その表情は、テレビ中継のカメラによって大写しにされ、多くのファンの胸を締め付けたことであろう。結局、後続が凡退し、試合は延長戦の末、パイレーツが惜敗。岸川の記録更新も、この日はお預けとなった。
試合後、インターネットの海は、この申告敬遠を巡って喧々囂々の議論で溢れ返った。「なぜ勝負を避けたのか」「ファンは岸川のバットが見たかったんだ」「これだから現代野球はつまらない」といった嘆きや怒りの声が多数を占めた。中には、「王選手がホームラン記録に迫っていた頃、毎試合のように敬遠されていたのを思い出した」「あの頃は、敬遠されるのもスターの証だったが、申告敬遠は味気ない」と、昭和の野球黄金期を懐かしむ声も少なくなかった。
確かに、申告敬遠は2018年に導入された比較的新しいルールである。試合時間短縮や投手の負担軽減といったメリットが謳われる一方で、野球の醍醐味の一つである「投手と打者の真剣勝負」が一つ失われた、との批判も根強い。かつては、敬遠の四球を投げる投手にもプレッシャーがかかり、思わぬ暴投で事態が動くこともあった。また、打者が敬遠球を打ちに行くといった、伝説めいた逸話も数多く残されている。そうした「間」や「ドラマ」が、申告ひとつで省略されてしまうことに、一抹の寂しさを覚える古参ファンは決して少なくないのだ。
野球評論家の“ミスターフルスイング”こと、往年の名選手・轟健三氏は、今回の件についてこう語る。「確かに、戦略としてはタイフーンズの選択も理解できる。岸川君の今の当たりの凄まじさを考えれば、最も失点を防ぐ確率の高い手を選んだということだろう。しかし、だ。ファンは何を見に球場へ足を運ぶのか。それは、手に汗握る勝負であり、スター選手の華麗な技であり、そして何よりも心を揺さぶるドラマではないだろうか。申告敬遠が全て悪いとは言わん。だが、あの場面で、あの熱気の中で、若き才能と真っ向から勝負する姿もまた、プロとして見せるべき矜持だったのではないかと、ワシは思うよ」
また、あるベテラン記者は、懐かしそうに目を細めながらこう呟いた。「昔はね、敬遠されるってのは一流の証だった。悔しいけど、それだけ相手に恐れられているってことだからね。ただ、今の申告敬遠は、どうも作業的というか、事務的というか…。ボールがミットに収まる音も、打者の悔しそうな表情も、投手の緊張感も、全部すっ飛ばしてしまう。それが時代の流れと言われればそれまでだけど、少し寂しい気はするねぇ」
岸川一星、その若き才能が、図らずも現代野球の抱える一つのジレンマを浮き彫りにした形となった。効率を重視する現代的な采配と、ファンが求めるロマンやドラマ。その狭間で揺れ動くのは、選手であり、監督であり、そして何よりも野球を愛する我々ファン自身なのかもしれない。
今回の「申告敬遠」が、岸川にとって更なる飛躍への糧となることを願ってやまない。そして、いつの日か、彼が全てのマークを打ち破り、どんな状況であれ勝負せざるを得ないほどの「伝説の打者」へと成長する姿を、我々は夢想するのである。時代は移ろい、ルールは変われど、野球というスポーツが持つ、あの土の匂い、カクテル光線に照らされた緑の芝、そして一球に凝縮される人間の喜怒哀楽のドラマは、きっとこれからも我々の心を捉えて離さないだろう。そう、あの頃も、そして今も、これからも――。願わくば、次の対戦では、満天下のファンが固唾を飲んで見守る中での、岸川と宿敵タイフーンズ投手陣との、火花散る真剣勝負が見られることを。そんなノスタルジックな期待を胸に、今宵もまた、ナイター中継にチャンネルを合わせるのである。